2008-0901GuitarCLUB


とうとう最終回。伊東先生はじつはマンドリン合奏のための作品を
たくさん作曲しています。マンドリン、そして合奏との関わりについて伺いました。
集めに集めたギター小物の数々を散りばめながら。


○●○  福夫先生のギターはロマニリョすでしたよね?

○●○  ほお。
伊東 昔、20代は高校生で通用した。
○●○ ところで先生はマンドリンとの合奏曲もけっこう書かれているんですね。
関わるようになったきっかけなど、教えてください。
伊東 知り合いの高橋功さんという方が
マンドリンに参加しないかと声をかけてくれたのが最初ですね。
フランスのマンドリンフェスに参加しないか、と。 28の頃でした。
それでフランスに行ったのがマンドリンの関わり始め。 高橋さんは“高橋博士”って呼ばれるくらいで、お医者さんで
かつ、ギターに造詣深くて、本も書かれている方です。
ただ、このフェスティバル参加によるマンドリンとの仕事は
このときでいったん終わったんです。
でも、その後5年ほどしてから群馬マンドリングループの 両角さんの橋渡しで再び関わるようになったんですね。
○●○ 群馬と言えば、石原ギター合奏団も有名ですが、
石原さんともどこかで関わりがあるんですか?
伊東 GMGというところには、僕と同じときにギタリスト新人賞をとった
町田さんという人が参加している。
また、もうひとりギタリストの新井貞男さんが懇意にしてくれていて
その人もGMGに関わり、また石原さんところに入っている。
そんな関係はありましたが直接は合奏連盟に関わるようになってからですね。
○●○ 合奏の譜面もたくさんありますね。
伊東 で、朔太郎さんに関わるようになり
朔太郎さんの詩にも親しむようになりましたね。
これはいい経験でしたね。
ええとパンフレットがあったはずです…。これこれ。
ちょうどこの人、両角先生は記録もお好きで
このへんから関係していますね。20回の頃。
そのあとはけっこう毎年のように作品依頼をしていただいて
作ってきたんです。
それで毎年やっている。
○●○ まとめた作品集ができそうですが、毎年となるとたいへんそうですね。
伊東 で、マンドリンのひとたちはどんな曲を弾くか、弾きたいかというときに
今は久保田さんの作品か藤掛さんの作品しかない
というくらいなのが現状だ、というんですね。
それでこのお二人なら作風、方向がだいたい固まっているから
そこにないような作風を、ということで
作るようにしています。
○●○ 鈴木静一さんという方の作品も演奏される機会は
比較的あるように見えますけど。
伊東 もうなくなった方ですね。いろいろうるさいらしいね。
ゴンドラマンドリンというのを、前橋を中心に
5回かな、やったことがあります。
ここでは東京だけじゃなくて地方の人も参加して
広がっていきそうな面も合ったんだけど
10年続いたかな、経済的な事情もあって
中断することになったんです。
そうこうしているうちに朔太郎音楽祭が始まり、今年で3回目になった。
僕も関わってきた前橋の活動が再開されていくことになったというかんじですね。
それで今年はわたしと濱田次郎先生が審査員になってマンドリン四重層コンクールが
行なわれることになっています。
これに竹内さん、青山忠さん、久保田孝さんも関わりがある。
僕と彼らはこのへんの関係で懇意になったんです。
○●○ そういうかんじなんですね。
伊東 まあ、これからさらに続いていくといいよね。
ともかく僕がフランスのボルドーに行くことになったのは
マンドリンのおかげですから。マンドリンは
○●○ フランスイタリア、けっこうマンドリンのフェスティバルは
盛んなんですよね?
伊東 いや、そうでもないでしょ。合奏団体も数人規模のものがあるくらいで。
むしろ日本のほうが構成人数が多い団体が多いんじゃないかな。
ドイツの越智さんがやっていた楽団をのぞくと、30人も40人もいる楽団というのは
日本にしかないんです。
みな5、6人とかね。 これ、おもしろいでしょ。 宮崎県庁に5月にいったんだけど、そこのわきにあったんだけど、
ものは持っていないけどギターを持って歌っているように見える。
プラテーロと私を模した模型
しき君からもらった遺品の飛行機。
ドイツのミットナーのメトロノーム。音が低めでやかましくない、心地いい音なんです。

(続きます)

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